Touring Reports 2012
5. 丹那 2012/03/20(火) 丹那盆地と丹那トンネル

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丹那盆地、
伊豆半島、静岡県田方郡函南町にある。
地下には東海道本線の丹那トンネルと東海道新幹線の新丹那トンネルが平行して東西に走り、
丹那断層が南北に走る小さな盆地、遥かなる昔は湖であり、90年ほど前までは湧水に溢れる豊かな集落であった。
現在のJR御殿場線が東海道線と呼ばれていた頃である。



当時の非力な蒸気機関車では御殿場線は勾配がきつく、機関車を多重連結して運行していた。
そこで持ち上がったのが、熱海-函南間にトンネルを通し、輸送スピードを上げるという計画。
1918年(大正7年)着工、工期7年、総延長およそ7800m、当時複線トンネルとしては日本最長の計画だった。

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当時のトンネル掘削技術はシールド工法なんてものはなく、削岩機で何箇所も穴を開け、
ダイナマイトで崩すという稚拙なものであった。
この場所は火山地帯であり、悪質な地質と大量の湧出水のため、工事がはかどらない。
しかも1930年(昭和5年)には北伊豆地震が発生し、南北に約2mも断層が動いた。
このため本来直線であるトンネルはゆるやかにS字カーブしている。
難工事のため、最終的には7年の予定が16年に延び、トンネル崩壊による犠牲者は67人を数えた。

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丹那には北伊豆地震で動いた断層跡が残されている。
ここはその一つで丹那盆地にある。


丹那盆地の模型、
赤い線が丹那断層、青い線が丹那トンネル。
断層とトンネルは直交し、トンネルが盆地のほぼ真下を通っている。


赤い線が断層、黄色い線の開き分がずれた。


丹那盆地の北方、田代にある火雷神社(からいじんじゃ)。


上写真に写っている鳥居は地震後出来たもので、本来の鳥居はこちら。
片方の柱が残っているが階段の延長線から見るとずれているのが分かる。


そしてトンネル掘削による大量湧水のため、水に溢れていた丹那盆地は逆に水枯れとなった。
盆地地下に溜まっていた大量の水をトンネルという排水口から出してしまったためで、
ワサビ田や稲田による収穫で暮らしていた住民は飲み水にも困窮してしまったのだ。
現在は、酪農と畑作による収穫で生計をたて、その象徴ともいえる、酪農王国オラッチェがある。


丹那トンネル西口にある函南駅、
ここから東口の熱海駅まで丹那トンネルがあり、現在の普通列車だとトンネル通過に5分ほど。
開通当時(電化されていたが)は8分かかったようだ。
乗ってみると、地震でずれてS字になったカーブは何も感じなかった。


東口(熱海口)にある工事犠牲者を祀っている丹那神社から見た慰霊碑。


救命石、
東口でトンネル崩壊があったのだが、掘削した残土を運び出す作業中、この石が引っ掛かった。
直後、大崩壊が発生し、作業中の17名は奥に取り残され奇跡的に救助された。


丹那神社の事務局は来宮神社内にあるのだか、丹那神社は東海道線丹那トンネル熱海口の真上。
行くときは間違わないように。


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【3月20日走行データ】
走行開始、07時30分、46,555.9km
走行終了、18時10分、46,769.1km
走行距離、213.2km

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